考 現 学
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13.
違法
コ
ピー
ブロードバンドの普及により、違法コピーの問題が格段に高まった。
やっている人は「持っていても使っていないので、そのソフトに金を払う気
はない。」と特に言うかも知れない。
しかしそうだろうか? 物の価値には
1.使用価値
2.観賞価値
3.存在価値
があると思う。1、2は直にわかると思うが、3について。
なんについてもコレクターなどがいるが、その人らに通じる価値とでも
言おうか。入手しているものは、また手に入れようと思うことはほとんど
ない。購入価値はなくなる。つまり使わなくても、その存在価値を消費して
しまうのである。物が普及しきった現代に於いて、ソフトウェアは消費需要
を生み出せるものである。それが商売にならないことはあってはならないの
であろう。将来的に一大産業として成りうるものが、発達できないのは
経済にとっても大きな痛手となり、景気回復にも大きな影響を及ぼすことが
懸念される。
(November.2002)
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12.
価値
観の
法則
最近、リバイバルがやたらに多い。人口の一番多い層を狙うのは分かる
のだが、やや安直なイメージが拭えない。
子どもの頃手に入れることができなかったようなものが手に入るように
なった。お金を出せばポンと。しかし手に入れた感動が薄いのである。
数ある物の一つというようにしか感じられない。
原因はなんであろう。お金であろうか? 手に入れた物の数の大小で
あろうか?
思うに、時間がひとつの大きな要素になっているのであろうと思われる。
欲しいと望む時間、手に入れるために要する時間(資金のための労働を含む)
それらが価値を高めているのではないだろうか? これらをうまく調整すれ
ば、金額では図れない豊かさを得られるのかも知れない。
(Octorber.2002)
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11.
と
ある
政治家
の
あるべき
将来
某政治家の話ですが、やはりすっぱり辞めて欲しいですね。政治家を辞め
ても輝かしい将来が見えているのだから。
その輝かしい将来とは、…吉本にいくことです。そう、坂田としおと組ん
で、としお○□おコンビとして売っていくのです。そりゃキャラが立って
いるので待遇も申し分ないことでしょう。新喜劇で政治家ネタに使えますし、
別のものでも「そちも悪よのう。」なんて言うだけでウケが取れそうな感じ
です。また「ワシは感情が高ぶると声が大きくなる癖があるんじゃあ。」
なんてネタも使えます。持ち物にも「○□お何々」といちいち名前を付け、
呼ぶだけで笑いが取れるかも知れません。デビュー前から正にネタの
デパート、ネタの総合商社です。そしてファン倶楽部の名前も既に決まって
ます。○□○□会。ああ、なんかちょっと羨ましいです。
そんなふうに暮らしつつ、政界の暴露本なんか書いたら売れそうです。
何せ核心にいたんですから。そうやって外から政界の構造改革ができるかも
知れません。現役の方では、自らの身を削ることは無理に思えますので。
(March.2002)
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10.
懐
かしい
友
よ
電車に乗っていて、懐かしい友人に出会ったりすることがあるだろう。
でもあまりに懐かしすぎて、顔は分かるが名前や詳しい存在が分からない、
そんなことはないだろうか。
そんなとき、微妙な時間がはじまる。焦って、当り障りのない会話だけで
終わらせたり、直接相手に名前を聞いたりする逃げ道を選んではいけない。
さりげなく昔話のエピソード話をふって、相手の名前を探るべきである。
名前も思い出せないだけに、なかなか検索がヒットしない。でも、これは
一つのゲームである。しかも人生において、このチャンスはそれ程多くない。
私も、そんなガチンコに一度だけ遭遇したのだが、ヒットすることはなかっ
た。ただ、中学時代の知人であることだけはなんとなく覚えていたので、
後でアルバムで答え合わせをした。
今度その機会が与えられれば、是非もう一度挑戦したい。けれど、その
機会が訪れたことは今のところない。
(September.2001)
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9.
携帯
電話
の
マナー
電車で携帯電話のマナーを促すアナウンスが流れる。しかしどうも納得が
いかない。本気でマナー化しようとする気が感じられないのだ。
アナウンスには、主に2種類ある。
1.「周りのお客様の迷惑となりますので電源を切るか、マナーモードに
して下さい。」
2.「医療機器に影響を与えますので電源をお切り下さい。」
この2つの理由は一致しないのだ。1の場合、電話に出る事を許している。
つまり2と明らかに矛盾するのである。2は納得がいく話である。しかし、
実際にそのような事故が起こったと言う話を聞いた事がない。可能性は存在
するが、実際に起こるかどうかが不明な問題なのである。メーカー勤務の
経験があれば分かると思うのだが、起こるかどうかわからないレベルに予防
対策を行うのは相当の犠牲を払う事になる。また携帯の利用価値のひとつに
メール機能があるが、電車に乗っているときこそ、最大に利用価値を発揮
する。そう考えた場合、起こるかどうかわからない事で人を束縛してよい
ものなのか疑問である。例えば、車によって人が亡くなる事故はかなり多い。
それでも車の利用は認められている。それなのに、携帯の使用に対して、
そこまで束縛すべきものなのだろうか?
また、1の場合、何が迷惑なのか? 電話で会話をすることなのか?
だったら友人同士で乗っているときの会話はどうなのか? それとも
会話の片方しか聞けない事が問題なのか?
どうも、この電車内の携帯使用のマナーというものは、止めさせること
が先にあって、理由が後付けでしかないように思う。だから説得力がない。
それに本気で止めさせる気があるのならば、アナウンスだけでなく、乗車口
に携帯電源OFFを促すポスターでも貼っておくべきだろう。そして、その
電源を切らせる目的を明確にして欲しい。
映画や演劇の鑑賞においても、携帯のマナーが問われる。こちらの場合、
電源はOFFにすべきだと思う。着信音がうるさく、更に会話が鬱陶しい。
一番問題なのは「バイブにすればそれで良い」と思っている輩がいることで
ある。音が出ないようにしても、それは「電話が掛かってきたらその場で
出る」という皆の邪魔になることをするという意思表示であろう。それは
まずい。まずいでしょ。考え直して欲しい。観賞ものの空間の中で、電話で
会話をすること自体、周りに迷惑を掛ける事になるのだから。
余談として、そういう携帯電話の電源を切っておくべき状況下で、切り
忘れて掛かって来てしまった場合、多くの人が取り出してから出るなり切る
なりする。できれば、取り出す前に手探りで通話ボタンを押して欲しい。
電話に出るまでに多少のタイムラグは生じるけれど。
(May.2001)
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8.
チョコレート
の
道
私は甘いものが好きだ。故にチョコレートも好きである。ただし、チョコ
クリームというものは認めてはいない。チョコレートは硬くなければなら
ない、というのが信条である。
そしてその硬さを求めて、行き着いた食べ方がある。それは冷凍庫で冷や
してから食べるのである。単に冷やすのではなく、口の中に入れたとき、
熱膨張でチョコレートが割れるくらいに冷やすのある。その割れた破片で
口の中をケガしてしまいそうなくらいが理想である。チョコレートを舐めて
溶かして食べる人間が居るが、私は信じられない。あのトロトロが耐えられ
ないため、必ず噛んでしまう。それと外国のチョコにはやたらと何かが
入っていたりする。あの、ドロっとした何かだ。
多分、そのドロってやつは間違っていると思うぞ。
(June.2000)
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7.
使い
切り
の
美学
「すべてのものは使い尽くされてこそ価値がある。」
その信念を持って今までやってきた。故に、鉛筆は手のひらに収まる長さに
なるまで使ってきたし、インク詰まりの起こしたボールペンは火であぶって
使ってきた。そのために煙草は吸わなくても、ライターを持ち歩くことが
あったくらいだ。
そこでひとつの壁にぶち当たる。それはギフトのボールペンである。気を
緩めてしまうと、いつの間にか増殖する。1つのボールペンを使い尽くすには
結構な労力を必要とする。しかし、使わずしてインク詰まりを起こさせること
は、もってのほかである。じゃあ、もらわなければいいではないか、という
意見もあるが、それはそれ。貰ったらうれしいのだ。
消費も戦いなのであろう。
(June.2000)
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6.
樽
型
の
謎
過去に3回ほど入院歴のある私は不思議なことを発見した。大きな病院の
看護婦には必ずと言っていいほど樽型体形の人がいる。特に婦長とかベテ
ラン層にそれは多い。一部の若い看護婦も、同様の疑問を持っているようで
ある。
このことについて、私は一つの説を導き出した。3交替の勤務には体力が
必要である。勤務時間帯が変動するので不規則な生活に成り易い。
そんな過酷な労働環境、特に夜勤に耐えるにはそれなりの体が必要なのだ。
そして何年かその激務を続けていくうちに淘汰されていき、樽型体形の人が
残っていく、あるいは樽型体形になっていくのである。樽型体形は、3交替
の勤務の中で生み出された進化なのであろう。これは、恥ずべきことでは
ない。誉れなのである。
(May.2000)
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5.
ビ
ルゲイツ
・
イ
ンフレ
最近のPCの性能の向上について、疑問に思うことがある。必要が
あって、バージョンが上がっているようには思えないのだ。なんか
Windowsを動かすためのハイスペックであって、ソフトを動かすための
スペックではないような気がする。そしてPCの性能が上がると、その
PC資源を使うべくソフトも重くバージョンアップする。まるで、ソフト
やPCを売るためにバージョンアップしているように思えて仕方がない。
そもそも Windowsは、どのパソコンでも同じようにソフトが使えるという
ことが1つの売りだったような気がする。しかし今は、Windows に合わ
せてPCが作られているのだから、もっと軽快であってもいいのではと
思う。
(January.2000)
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4.
C
D
ソ
ー
ト
中古CD売り場に行くと、多くの店が愚行を行っていることがわかる。
その愚行とは、CDをタイトル別に整理していないのである。結構、
そういう細かいことが気になる私としては、なんとなくその整理に
時間を費やしてしまったりする。で、しばらくしてその店にいくと、
またバラバラになっていたりする。どうも、店がわざとやっている
ようである。何でやっているのか考えてみると、どうも商品の種類
を多く見せたいがためにやっているようである。この行いは音楽CD、
CDーROM問わず、広く行われているらしい。
お互い、時間の無駄だからやめて欲しいものである。それとも検索性の
美学を追求する私に対する挑戦なのか。そうであるならば、全面戦争に
可能性を覚悟して欲しい。
毎日店に通いつめてソートして帰っていく。そして、店の商品陳列の
意識を変えることができれば俺の勝ちである。勝ったら地図上に勝利
マークをつけていく。これぞ実体験版の天下統一である。
…なんか不毛そうだな。
(December.1999)
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3.
焼
き
肉
屋
改
造
計画
焼き肉屋にいくといつも不満に思うことがある。それは、野菜メニュー
があまりにも貧弱なことである。焼き野菜なるものが存在するのだが、
これが許せない。ぶつ切りの野菜をただ出すだけ。キャンプにおける
バーベキューの、文明の利器からの隔離された状況下での調理法を
そのまま用いる、などという常識を疑わざるを得ないことを平気でやって
のけるのである。焼き肉は外食なのだ。ましてや、ファーストフードの牛丼
やカレーを食べに来ている訳ではないのだ。それなのに、鉄板の上で何も味
を付けずにただ焼く、などという創意工夫のかけらもない、そして調理の
方法として確実に不適切であろう料理を食わせる根性が知れない。
肉ばかり食べる焼き肉屋において、野菜のメニューは確実に需要のある
ものである。それ故に野菜のメニューをもっと大切にして欲しい。調理
されたうまい野菜を、私は食べたいのだ。
焼き肉屋の皆さん、目を覚ましてください。
(November.1999)
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2.
ラ
ー
メン
ラ
イス
の
存在意義
私の理解できないものがこの世に数多く存在するのだが、その中にラーメン
ライスというものがある。ラーメンをおかずに御飯を食べる、炭水化物を
おかずに炭水化物を食するという、栄養学に逆らうがごとくな行為が存在する
のである。しかも、それが標準であると考える人間が、存在するのである。
ラーメン好きへの救済策と言うならば理解できよう。それ故にラーメン屋
にメニューとして存在するのは、客層を無闇に狭める訳にはいかない客商売
の事情として許容できるものである。また、一人暮らしの人間が、調理の
手間を省くが故に起こる現象としても理解し得る。
けれど、ラーメンライスが家庭の食卓に発生するのは間違いではないだろ
うか。少なくとも標準ではない。カレーライスに醤油をかける人口よりも
確実に少ないはずだ。
しかし関西には、小麦粉に対する執着愛とも言うべき文化が存在するので、
関西人には当てはまらないかも知れない。噂によると各家庭にたこ焼き
プレートが存在したり、お好み焼きやたこ焼きで御飯を食べる文化が、存在
するようである。そう言った文化圏においては、ラーメンライスも延長線上
のものでしかないかも知れないが、所詮は関西ローカルのものでしかない
はずだ。
(October.1999)
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1.
キ
ム
チ
問題
世の中には2種類の人間がいる。キムチを好む人間と好まない人間である。
まあ、それは問題ではない。問題なのは、キムチを好む人間が「キムチを
1人1皿食べるのが当たり前」と考えているところなのである。
過去に2度、そういう問題に行き当たったことがある。周りの人間に断る
ことなしに、1人1皿分キムチを注文するという事件が起こったのだ。
だいたいキムチの1人前というものは、店によって大きな違いがあるものだ。
私は早速説得にかかった。
「自分で処理できる範囲で注文しろよ(残った場合はすべて食えよ)。」
しかし説得も虚しく注文は行われたのであった。
けれど責任を取りきった人物を未だかつて見たことがない。今の所、私の
2勝0敗である。
(October.1999)
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0.
W
E
B
論
インターネットも普及してホームページを持つ人も珍しくはない時代に
なりました。ホームページ作りの入門書とかも数多く出回り、洗練された
デザインや美しい画面を持つものもたくさん存在します。
しかしここで考えて欲しいことは、ネットは多くの場合、通信時間に
対して金を払うメディアであるということです。画像は見た目は良いの
ですが、繰り返し見る価値のあるものはそう多くはありません。ましてや
画像はどうしてもファイルサイズが大きくなりがちです。テキストと比べて、
娯楽率、情報率がどれ程のものであるかを、考えてみる必要があるのでは
ないでしょうか。
そこで、私がホームページを見ていて、気になることを挙げて見ました。
1.画像が重い。そして画像待ちの間、一文字も表示されない。
まるまる待たされるのは嫌です。ちゃんと画像待ちテキスト表示をする
ようにして欲しいです。画像クリックを要求された場合、画像待ちを回避
すべき選択肢がないというのも、最悪です。
2.別窓の広告が表示される。そしてそれにより処理が遅くなる。
広告代が欲しいのは分かりますが、あの別窓広告は、ネット界にとっても
大きな損失であるように思われます。ぜひ撤廃しましょう。
3.ブラウザを別起動させるもの。
リンクで、現在の自分のページが忘れ去られてしまうのを恐れる気持ちは
わかりますが、うざいです。処理も遅くなる可能性がありますし。
何よりも恐ろしいのは、Windows のドライブの空き容量が少ないときです。
無闇やたらに別起動された暁には…。
「進む」「戻る」のボタンを信じてみようじゃありませんか。
4.レイアウト(フレームを多用したものも含む)
巨大画面を前提としたページも苦手です。横スクロールバーはできるだけ
操作したくないです。そしてできればブラウザのサイズにあわせて変化する
のが望ましいですね。テーブルタグは、横の項目を多用せず、ブラウズ画面
サイズに合わせて収まるように努力しましょう。
5.やたらとクリックを要求するもの
HP(表紙)に「入り口」などという選択肢のないクリックを要求する
ページもあまり感心できません。ひどいものになると、その唯一のクリック
ポイントの存在すら、分かりにくいページがあったりします。あるいは
クリックしたら、単に「工事中」と表示されるだけ(最近は減りました)
のものも腹立ちます。無駄な動作は、できるだけさせないで欲しいもの
です。
要は、ロード待ち時間の存在と、無意味な動作の要求に気を付けましょう
ということです。昔は記録媒体がカセットテープだったのですが、そんな
経験のない人口が増えてきたということでしょうか。いや、それだけでは
ないでしょう。ゲームのCD読み込み時間が長いと嘆いているあなた。
自分のHPの読み込み時間についても考えてみましょう。
(August.2000)
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